公会計と複式簿記


明治 9年 1月 大蔵省に簿記法取調掛を設置
 ポルトガル人ブラガを雇い、複記式簿記法を制定し、11年2月には通達を発して複記式簿記の講習会を行った。(「会計検査院百年史」41頁)

明治11年 9月30日「太政官第42号達」で複式簿記採用
 官省院使、府県に対し、「金銭出納簿記ノ儀明治十二年七月ヨリ複記式ニ改正」を通知。『官庁と複式簿記』(一橋大学附属図書館「複式簿記がやってきた! ―明治初期簿記導入史と商法講習所―」)〕
 「明治初年の出納事務は、各省が必要な経費を太政官に申し出、太政官が必要と認めればその支出を大蔵省に命ずる仕組みで大福帳によっていたが、伊藤博文が渋沢栄一と図って伝票方式(複式簿記)に改めている。」 〔『明治憲法下の財政制度(2)』(松元崇)「ファイナンス 2004.5」〕

明治15年 8月 単式の予算簿が廃止されて全面的に複式記帳に
 松方正義が国庫金統一制度を創設する前は各庁が大蔵省から交付された資金を銀行に預金し、必要に応じて支払っていた。明治初年に官庁会計に複式簿記が採用されていた背景には、各省が現金出納を行っていたという事情もあった。〔『明治憲法下の財政制度(2)』(松元崇)「ファイナンス 2004.5」〕
 「予算執行の全面にわたり収支を一貫して複式記帳を行うため、仕訳、転記など事務上の煩雑さは累加され、各庁の制式簿記は、おびただしい数に上るに至った。」(「会計検査院百年史」43頁)

明治22年 帝国憲法の制定時に単式化
 当時の国庫金の管理は、各役所や県が現金をばらばらに管理するものでその集計には相当の時間がかかっていた。その状況下で厳格な現金管理を担保するために行われていたのが、各役所等ごとの現金についての複式簿記であった。当時の複式簿記は、その後、日銀が設立され、中央銀行による国庫金の集中管理が行われるようになって廃止され、現行の官庁会計に改められている。〔『明治憲法下の財政制度(13)』(松元崇)「ファイナンス 2006.5」〕
 「会計法が、在来の会計法規と全く別な観点に立って制定されるに及び、官庁簿記は複式原則から一転して、おおむね単式化されるのである。」(「会計検査院百年史」43頁)
 明治会計法の制定に際して、会計原法草案(枢密院の議決を経た第一草案の直前の案)の段階では複式簿記となっていたが、最終的には引き継がれなかった。〔『政府会計決算はなぜ国の貸借対照表作成のためには利用しにくいのか (3)』(行方敬信)「会計と監査」1/2005。当時の状況に関する最も重要かつ詳細な参考書として「官庁簿記制度論」(税務経理協会。昭和33年)を挙げている。〕
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